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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1952-07-30 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第73号

私が引例いたしましたように、昔の、あなたが学校で習つて来たようなビスマルクモルトケ時代にどうしたというように、そういう時代プロシア軍国主義帝国主義の基本になつたところの、それと結びついたその政治の考え方や法律の考え方、それはあなたはそれによつて育成されておいでになつたのです。

吉川末次郎

1952-07-16 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第62号

そのような行政学者使節団に来てもらつて、それを採択するとしないとは、それはこちらの自由でありますが、ともかく縦横に、シヤウプ使節団と同じように研究調査さして、そうして結論を一つ勧告書として出させるというようなことのほうが、そんなまだビスマルクモルトケ時代のまだ少しも頭が抜け出ていないところの旧内務省官僚、それと部類を同じくするところの人間がいくら寄り集まつてやつたところで、これは日本地方行政

吉川末次郎

1952-07-16 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第62号

ビスマルクモルトケ時代ドイツ精神で、明治憲法ビスマルクモルトケ憲法であるのと符合して、ドイツ人が来て作つたの日本地方制度なんです。それが明治二十年代頃からずつと続いて戦前まで、局部的な改正があつたけれども、その線で大筋は来ている。明治憲法が存続しているのであります。これに符合したところの地方制度は、同じ精神で存続していたことは当然のことなんです。

吉川末次郎

1951-11-06 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第11号

そういう憲法教育日本に行われておりまする以上は、日本国民は本当の精神的な理解を持つてこの條約というものを批准するところの資格のないところの国民であると私は言わなければならん結果が起つて来ると思うのでありますが、あなたはそういう日本の昔からの、この古い伊藤公の習つて来たところのビスマルクモルトケ時代プロシヤの、国家主義的なプロシヤ憲法をそのままコツピーしたところの日本憲法を不磨の大典として教えて

吉川末次郎

1951-11-06 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第11号

ところがあなたはあの無残の、日本敗戰に陷れたところのヘーゲルの国家観の考え、ビスマルクモルトケ時代ドイツを統一するため、プロシヤを中心としてドイツを統一するためそのドイツの置かれていたところの古い国情と呼応して生れたところの古い見解であると私は思います。

吉川末次郎

1951-11-06 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第11号

ところがそういうような度しがたいまでに頭が、第一次欧洲大戰のワイマール憲法以前のビスマルクモルトケ時代プロシア思想で頭が固まつておるところの人間には、私がなかなか一人で地方行政委員になりまして、地方行政委員会委員長になりまして孤軍奮鬪しましてもわかつてもらえないのです、何ぼ言つても……。

吉川末次郎

1951-05-18 第10回国会 参議院 地方行政委員会 第38号

況んや八十に近いところの吉田さんなどには、これは似てのほかの困難なことだと思いますが、せめては私はこの若き世代を担うところの青少年の諸君の教育だけでも新憲法精神に基いてやつて貰いたい、そうして、その将来は非常に遠いことであつても、それに待つよりしようがないというようなことを考えておつたのでありますが、それも又新憲法精神を少しも理解しないところの、ビスマルクモルトケ時代の第二次欧州大戦前日本

吉川末次郎

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